“戦前”というとこ、のところ、よく見かける言葉かなと思います。
なぜこの言葉、タイトルかというと、最近かつて買った本をアマゾンで売るというのを始めていまして、
少しづつ売れているのですが、本の状態チェック等で中身を見かえすことが多いんです。
それで、この本を久しぶりに手に取った、ということです。
平成最後ということで、それに向けて、またこの“戦前”という言葉も盛り上がっていくのでは?、と思っています。
さて、この『〈戦前〉の思考』は柄谷行人氏による著です。氏の観点は主に、ネーション⁼ステート(近代国家)という視点からこの戦前を見るという立場で様々に書かれています。
近代は歴史を可能にし、歴史を可能にすることで自らを時間軸を共に設定するということが近代の主眼なのですが、氏が注目する“江戸”なんかも、一つの近代を乗り越える(この言葉も一時期流行りましたが)可能性を秘めています。
しかし、それ故の困難がある。
それはなにか?
まずは、近代という視点からしか江戸に入り込むことができないからです。だから、どうしても近代的に編集されてしまう。
でも、それはそれでいい。私たちが得るべきフィードバックは“国家”を再考することにあるのだからです。
本書のなかで、私が面白かったし、今後調べたいなと思ったところを一つ挙げます。ルイス・フロイスという宣教師(徳川時代の少し前、1580年ごろ)が書いたヨーロッパと日本との比較文章を取り上げています。
- 《ヨーロッパでは、未婚の女性は成功の栄誉を尊さは貞操であり、またその純潔さが犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ結婚もできる》
《ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸し付ける》
《ヨーロッパでは妻を離別することは罪悪である上に最大の不名誉である。日本では意のままに幾人でも離別する。妻はそのことによって名誉も失わないし、また結婚もできる》
《ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことは極めて大事なことで、厳格に行われる。日本では、娘たちは両親に断りもしないで幾日でも一人で好きなところへ出かける》
《ヨーロッパでは妻は夫の許可がなくては家から外へ出ない。日本の女性は、夫に知らせず好きなところへ行く自由を持っている》
私はけっこう驚きました。
私たちが知らない日本の姿なんて、面白いですよね。